diary日 記 2023 / 11/ 01

Nancy、アール・ヌーヴォーとお菓子の聖地

以前は東京の駅もそうでしたが、パリ市内の国鉄駅は行き先により発着駅が決まっていて便利です。東京駅が終点だと思って安心して居眠りし、目覚めたら品川はなしです。国境を越えたブリュセル方向やリールなど、パリから北に行く列車の出発駅は北駅。パリから直下、フランス第3の都市、リヨンを通過して地中海に南下する列車はリヨン駅。ブルターニュ地方へはモンパルナス駅、印象派が好んだノルマンディーに行く列車はサン・ラザール駅です。オーステルリッツ駅は小さいですが、列車を使えば観光バスに乗らなくてもレオナルド・ダ・ヴィンチ終焉の地の、ロワール川お城巡りコースにあるアンボワーズ城に行けます。そしてこのページでご紹介するパリの真東にあたるナンシーへは、東駅からTGVで1時間半です。かつて鉄鋼業で栄え、今は金融の中枢を担う町ですからTGVも頻繁に出ております。フランス国内に美しい村やシックな町は数多くございますが、世界的な大学都市でもあるナンシーは経済・文化が充実。今回、飯田橋の【日仏学院】で開催されたフランス政府観光機構主催のプレス・イベントで、温泉とスポーツ施設にも力を入れていることを知りました。それでは以下、ナンシーを語るに欠かせないふたつのキーワードについて、お聞きください。

まず、ナンシーは華麗なるアール・ヌーヴォーの町です。アールは芸術でヌーヴォーが新しいを意味し、19世紀末から20世紀にかけての文字通り新しい芸術運動です。鉄とガラスで花や植物、小鳥や昆虫などをモチーフに優美な曲線で表現された多くの作品が、1900年のパリ万博で話題になりアール・ヌーヴォーの時代が到来。アール・ヌーヴォーの端緒は、私たちにはリバティープリントでおなじみの英国人ウィリアム・モリスでした。産業革命による大量生産で優秀な職人が失業し、生活備品や建築資材の急激な劣化を嘆いたモリスがおこしたアーツ・アンド・クラフツ運動がフランスやベルギーに伝わり、アール・ヌーヴォーという芸術運動が誕生。エミール・ガレやルネ・ラリック、アントナン・ドームといった天才を生んだナンシーが、アール・ヌーヴォーの都になりました。ドームやガレの工房は現在も健在ですし、ナンシーの町のいたるところに優美な作品が住居として実在。人々の暮らしの中に生き続けているアール・ヌーヴォーの数々は現在から未来永劫、ナンシー市の宝物です。蛇足ですがアール・ヌーヴォーとアール・デコがとかく混同されがちですが、真逆といっていいほど別物です。名人芸ともいえる手の込んだ曲線が特徴の前者とちがいアール・デコは、定規で計った直線と幾何学的ななシンプルさが売りの装飾美術です。それでは最後に、アール・ヌーヴォーと同様にナンシーの町のシンボル的な存在であり、ユネスコ遺産に登録されている広場に君臨する、スタニスラス王のお話で締めくくりましょう。畏怖堂々とした銅像のお姿とは裏腹に、王様は戦争より美味しいものが大好きで平和的でした。グルメな王様のおかげで誕生した、フランスの銘菓をふたつご紹介しましょう。ある日、ナンシー近くの町で開催された晩餐会でのことでした。あろうことか疾走してしまった職人に代わり、給仕の女性が祖母伝来のレシピで生地を貝殻に詰めてお菓子を焼きました。ふっくらほっこり、香ばしく焼き上がった貝殻型したお菓子に感動した王様は、彼女の名前にちなんでマドレーヌと命名。またある晩、歯が痛いのにデザートを諦め切れない王様のために、甘い白ワインに浸して柔らかくしたお菓子を職人が考案。ひと口食べて驚喜した王様が、ご自分の愛読書だった『アリババと40人の盗賊』から名前をもらってデザートにババと名前をつけました。もうひとつ、お菓子が好きなスタニスラス王をラッキーにしたのが愛娘、マリー姫の存在でした。絶頂期にあったブルボン朝の王、ルイ15世と王様の愛娘、マリー姫がお見合いをしました。その席でルイ15世は、父親譲りでおっとりしたマリー姫にひと目惚れ。ヴェルサイユ宮殿にお輿入れし、ルイ15世と愛を育み王妃は11年間で2男8女をもうけました。ルイ15世といえばポンパドゥール夫人がいるじゃないかとお思いかもしれませんが、あくまでもマリー姫の健康を慮った医師団の指示にルイ15世が従った結果でした。マリー王妃は自分の代役になったポンパドゥール夫人に、常に優しく接していたといわれております。あらまあ、いつのまにかヴェルサイユに話題が移ってしまいましたが、マリー王妃とパパのスタニスラス王のエピソードから、ナンシーっ子に通ずるユーモアのセンスをお感じ頂けたでしょうか???? ナンシーといえばアール・ヌーヴォーとマドレーヌと大人のお菓子、ババとご記憶ください。ご清聴、ありがとうございました。