diary日 記 2023 / 06/ 01

アルポルトで実感したコンヴィヴィアリテ

ジガンテスクに変貌したヒカリエの前から親友とタクシーで、西麻布の【アルポルト】に向かいました。解体しやすく耐震性に優れた渋谷の巨大建築群と若者たちの喧騒を背に、霞町の交差点に近づくにつれ私は、想定外の思いにとらわれました。視界に入った西麻布の交差点あたりの様相が、以前とかなりちがっていたからでした。JCやJKで賑わう渋谷が足元にもおよばないほど目立っていた霞町の一帯が、落ち着いた雰囲気の町に変貌していたのは驚きでした。格段に緑がふえて、富裕層が住むにふさわしいエリアになっていました。外苑西通りを右折し、最初の左角にあるガソリンスタンドを左折。急な上り坂の中腹左側に、目指す【アルポルト】があります。道路から階段を下りると自動扉のようにドアが開き、にこやかなマダムがお迎えくださいました。本来はシニョーラですが、【アルポルト】のオーナー夫人にはマダムの呼称がお似合いです。親友と和気あいあいの四方山話に花が咲き、つぎつぎと運ばれてくるお料理の美味しさはまさに桃源郷。シェフの片岡護さんのファンの私どもは、久しぶりに夢のようなひと夜に酔いしれました。そして帰宅、PCの前に座った私の指が自動的にコンヴィヴィアリテという言葉をキーボードに打ち込んでおりました。

訪れた私たちを有頂天にさせた【アルポルト】の空気は、フランスのグラン・シェフたちが理想とするコンヴィヴィアルテそのものでした。パリやフランスの地方で三つ星や二つ星のレストランを取材したあと、オーナー・シェフにいつもこう聞いたものです、「レストラン経営で、もっとも大事にしていらっしゃるのはなんですか?」と。新鮮な食材や料理とおっしゃるかもしれませんし、お客さまの満足度かもしれないとも思いましたが、申し合わせたように彼らの口をついて出たのがコンヴィヴィアリテという言葉でした。フランス語でconvivialiteと書きますが、仏和辞書には短く宴会気分とだけ記されております。私がその言葉をはじめて聞いたのは、ロワンヌという町で三ツ星を守り続けているトワグロの当時のシェフ、ジャン・トワグロ氏からでした。レストランと数部屋だけで最高峰の三ツ星に輝くトワグロがあること以外で、パリから南に400キロ弱のロワンヌの町が話題になることはまずありません。あの頃、帝国やオークラなどの高級ホテルのフランス料理に町場のレストランが参入しはじめた、フレンチの黎明期でした。コンヴィヴィアリテについて説明してくださった、ジャン・トワグロ氏の言葉をお聞きください。いわく、「たとえば本日のスペシャリテを伝えるギャルソンと、相槌を打つお客さまの声。ナイフとフォークなどカトラリーや食器が触れる音と上気した人々の笑い声、シャンパンの栓が抜けるプシュという音。厨房から漂ってくる肉の焼ける匂いや壁にかけた絵画や調度など、この空間にあるすべてのものが混然一体となって、お客さまを舞い上がらせることができたらうれしい」と。フランス料理の最高峰に上り詰めたグラン・シェフにしては謙虚すぎるジャンに、あのときの私はただ頷くだけでした。ところが昨日、着慣れたコック服で私たちの席に立ち止まってくださった片岡シェフのお姿に、いみじくもジャン・トワグロの記憶が重なりました。ご用意くださったお料理をあげつらうことなく、40年一日のごとく穏やかに客席を回られるシェフの内なるパッションを垣間見たといったらオーバーかしら。ア・ビアント!!!!!