diary日 記 2023 / 04/ 01

ルノワールはなんとボーイソプラノ

最近、手当たりしだいに印象派関連の本を読み漁ってます。あらためて印象派に開眼したといったらオーバーですが、竹橋の<東京国立近代美術館 70周年記念展・重要文化財の秘密>の内覧会に親友に誘ってもらって訪れ、日本画→日本人の洋画→印象派といったステップでルノワールに着目。ルノワールについてはコロナ寸前、2019年の秋に学生時代の先輩ご夫妻と<南仏旅行・画家たちのアトリエめぐり>の後日談をこのページで書きました。晩年、リウマチを患い手が動かなくなったルノワールが指に紐で絵筆を縛りつけて創作に励んだアトリエの写真が、2019年秋のDiaryに載せてあります。実はあのときも、交通ゼネストの最中でした。といっても遊びで行ってたわけで、私たちは気楽なものでした。ルノワールのアトリエの廊下の壁に、モンマルトルで生まれハリウッドで成功した映画監督の次男、ジャン・ルノワールが手がけた映画のポスターが貼ってありました。彼の作品のなかで私は、モノクロ映画のジャン・ギャバン主演、『大いなる幻影』が一番好きです。ジャン・ルノワール監督はいい奴で、ルノワールの作品にたびたび登場するお手伝いさんのガブリエルを、ハリウッドに呼んでおります。彼の妻、アリーヌの遠縁にあたるガブリエルは、アリーヌの生家があるシャンパーニュ地方のエソワ時代からパリのモンマルトル、そして南仏のカーニュでも一家に欠かせない存在でしたが、よくあるパターンで女主人に疎まれていたそうです。夫の絵のモデルに嫉妬する妻の例はよくありますが、ルノワールやロートレックがモデルとして描いたヴァラドンにも彼女は強烈に嫉妬。連作の『田舎の踊り』のモデルが妻で『都会の踊り』のモデルがヴァラドンですから、微妙です。ユトリロの父親さがしは永遠の謎ですが、ルノアール説が濃厚な気がします。

ドラクロワやアングルにくらべて印象派の若者たちが揶揄されて当然でしたが、モンマルトルに集まった仲間たちの中で、すでにルノワールはれっきとした画家でした。それもそのはずでルノワールは生まれ育ったリモージュの窯元で、絵付け職人の修行を積んでおりました。ところが彼がひとかどの絵付師になったとたん、リモージュ焼きに技術革新の波が押し寄せ、手描きに代わりプリント技術が導入され失職。仕方なくパリに上京し、ブルジョワ女性のおしゃれに欠かせなかった扇子の絵付けで生計をたてていたとか。同時に画塾に通い、デッサンを修練。モンマルトルでアリーヌと所帯を持ち、創作活動に勤しみ50代で南仏のカーニュ・シュル・メールに買った家が終の棲家になりました。実は家を買ったわけではなく、百年を超えたオリーブの木が伐採されると聞いて、オリーブ畑を買い取ることを決意。買った後で、見晴らしのいい南面の高台に家を建てたそうです。画家として成功してますが、ルノワールがラッキーな星の下に生まれた面白いエピソードがもうひとつあります。リムザン地方の仕立屋だった父親が、ルノワールが3才のときにパリに上京。聖歌隊で歌っていた7才のルノワールの美声を聞いた作曲家のグノーが父親に、息子をオペラ歌手にしろと進言したそうです。息子を歌手にするつもりなど毛頭ない父親は、すたこらさっさと荷物をまとめ家族を連れて郷里のリモージュに戻ることにしたそうです。ルノワールが34才のときにオペラ座が完成してますから、天才テノールが誕生していたかもしれませんね。