diary日 記 2022 / 07 / 15

政治論でモテ狙いのフランス男子

公園の芝生に男女ふたりずつの若者たちが座り、飲み物とバゲットのサンドイッチでおしゃべりが弾んでいる様子をご想像ください。大学に入りたてか、リセの最終学年といったお年頃でしょうか。フランスの場合、青春時代は懐が淋しくて当たり前。大学生になっても実入りのいいアルバイトがありませんから、就職するまでビストロやレストランで食事は無理です。よくてセルフのバーガー屋さんとか、ファーストキッチンがせいぜい。女の子にモテたくても大判振る舞いなどできるはずありませんし、女の子に奢るのも無理。そんな男子たちに残されたモテるための選択肢はといえば、ロジック。理詰めで話を進め、女子たちに評価されることがモテる早道になります。いい例がマクロン大統領で、高校時代から理論派として目立つ存在だったそうです。同級生の女の子が15才だった彼の冴えぶりを同じ高校でフランス語教師をしていた母親のブリジットに伝え、「どれどれ…????」がそもそもの染めとか。24才も年上の女性を感心させてもどうかと思いますが、演劇部の顧問をしていた彼女は翌年、部員の彼と共同でシナリオを書いたそうです。文学、政治、経済の全分野で秀でていた少年が、既婚で彼と同じ学年の長女を頭に3人の子供がいた女教師のハートをぐぐっと掴んだわけです。当然、中高の女子を持った母親たちは激怒。今も憤懣やるかたない彼女たちは、当然、反マクロン派として健在。マクロン大統領のエピソードはいつもブリジットに邪魔されてしまいますが、それほどまでフランス人は相手の論理的主張を評価し、とりわけ政治と宗教の話題が好きな人たちです。公共の場で政治と宗教の話はタブーなどといおうものなら、「それじゃあ、なにを喋ればいいの???」と切り返されことでしょう。

今回、わが国の前首相が選挙演説中に銃殺されなかったら、元統一教会が話題になることはなかったことでしょう。わが国では神道も、真言宗も臨済宗も創価学会などの仏教も、宗教という言葉で十把一絡げ。ところが、広く世界を眺めると事情はちがいます。世界の五大宗教を上げるとキリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教とイスラム教でしょうか。これらは英語でいうレリジョンで、たとえばわが国の神道についてはShintoという言葉が知日派の間で認知されてます。そのほかにわが国では赤軍派など全共闘世代になじみのセクトという言葉が、新興宗教のカテゴリー分けに使われるのを知り驚いた記憶があります。パリ時代にル・モンド紙とル・フィガロ紙を購読していたのですが、ある日、創価学会の記事が大きく載っていたときに両紙とも、Secte セクトという言葉を使ってました。記事の内容は忘れましたが、わが国のバブル絶頂期でしたから、フランス国内のどこかに壮大な記念堂でも完成した報道だったかもしれません。猿山のボス猿とかオオカミの群れの王者という表現があるように、動物にも権力を誇示するために政治力が必要なようですが、宗教は人間固有の心の糧です。信仰心を利用して政治権力の拡大をはかろうとしたり、家族を不幸に陥れて人生を踏み外さないために、足元を見極めて悔いのない選択をしましょうね。……ああ、やっぱり政治と宗教の話題は難しいですね。