diary日 記 2022 / 06 / 15

珍しく掘り出し物

自宅の近くに区の保護樹木に指定されてもおかしくないほど、立派な樫や銀杏の大木があります。夕方になると何種類もの鳥たちが集まってきて、たそがれの葉陰でおしゃべりチュンチュン・ピーピー・クーワクワ……。大型マンションの建築工事の騒音がひと段落してからの、小鳥たちの競演に自然の逞しさを感じます。それもほんのいっときで、夕焼け小焼けで日が暮れて小鳥たちがいなくなり、静寂が戻って夜の帳が下ります。だいぶ昔、「アスファルトに咲く花のように」という歌詞に感心し、もっともっと昔に「砂漠のような東京に」というのもありましたが建築技術のおかげでしょうか、都心の景観もあんがい捨てたものではない気がします。ウクライナは気がかりですし物価上昇も他人ごとではありませんが、コロナも落ち着いてきました。親友からもらった大輪の紫陽花を眺めて、ふっと安堵の溜息がもれます。低いテーブルに刺繍の部分だけ広げて置いた、尾形光琳のカキツバタを模した帯が気持ちを和ませてくれます。それは先日、親友と訪れた大江戸呉服市での掘り出し物でした。もちろん新品の内覧会などではなく、リサイクルの着物市でした。三越前の地下鉄構内のほんの小さなスペースで開催されておりましたが、昔でいう古着市にはじめて行って感動しました。会場に入ってすぐ、目に飛び込んできたのがカキツバタの帯でした。50年はゆうにたっていそうですが、金の帯地に光琳のカキツバタを刺繍で再現したそれに魅せられました。刺繍が贅沢に施されているのに正装用の袋帯ではなく名古屋なのが、いかにも粋に思えました。それに、ふたりでコーヒーを飲んだお値段は、迷う余地なしの大収穫でした。

はじめての呉服市だったので、ビギナーズラックもあったかも。夏に向かう時期だっただけに、絽や紗、一重がほとんどでしたから次回、袷になってからが楽しみです。光琳のカキツバタほどの掘り出し物には出逢えなくても、目の保養になるので行く価値あり。年代物ならではのレトロ感が、会場の随所で光ってました。着物よりKIMONOの方が似合いそうな斬新な着方の考案も必要でしょうが、私は和服に正統を求めます。といっても自分で着るつもりはないので、眺めて満足のうちですが。和服は痩せて見えるというのはウソで、体型によっては洋服よりずっと太って見えてしまうんですよ。バストとヒップの太いところを平らな帯でつないでしまうのですから、ビア樽のように貫禄そのもの。昭和の名女優、「肝っ玉かあさん」で知られた京塚昌子さんも、お洋服をお召しになられていたら、もっと痩せて見えたにちがいありません。たとえ太って見えても、ジャポネーズが公の場に出るなら和服に勝る正装はありません。もちろん仕事の場でキモノなどと、トンチンカンは申しません。和服はあくまでも趣味の場合のことで、最近、結婚式の披露宴の和服率が上がっているそうです。披露宴会場にそろっているレンタル着物も便利でいいですが、質のいいリサイクルとの出会いは生涯の宝物。とはいえ『虞美人草』の時代でもあるまいし、今の女性たちに和服の手入れに費やす時間の捻出は無理かも。着る前に半襟を付けて帯や帯揚げ、帯締めなどの小物を選び衣文掛けを眺めて悦に入り、戻ってから汗としわを伸ばして畳む手間を考えるとレンタルに軍配が上がります。ちなみに掘り出し物の光琳は、四季のないパリの友人宅の居間で人目を引くことになりそうです。