diary日 記 2021 / 12 / 15

束の間のパラダイス

年が明けるとほぼ丸2年、私たちとコロナの攻防戦が続いたことになります。といってもこの戦いが終わるわけではなく、たぶんこの先、少なくとも1、2年はコロナの奴を意識して暮らすことになるでしょうね。オミクロン株の水際作戦が実行されてますが、時間の問題だと誰しもお感じのことでしょう。地球はひとつ、資本主義社会に移動の自由が保証されているのはわかりますが、コロナが発生した中国は社会主義だということを、だれもが忘れてますよね。北京や上海の物価は東京よりお高いですし、恒大の一件でバレバレなように彼の地の富裕層の拝金主義は私たちの比ではありません。都心のマンションだけでなく、温泉地や別荘地までわが国の不動産が中国人の掌中に落ちてます。わが国は私有財産の保護が徹底されておりますから、不動産の持ち主がどんな相手に売ろうと自由です。山林原野とか田畑の売買は農水省の決まりごとがあるのでかなり制約を受けますが、住宅地や準工業地帯ならほぼ問題なく誰にでも売れます。将棋倒しになってしまいそうな恒大の高層マンションを買うより、中国人は都心のマンションを買いたいですよ。定借と断ってないかぎりわが国の場合は、狭くても土地付きですから。それに私たちの国民感情として、「これだけ高価なマンションを買える中国人は優秀で、教養があって上品にちがいない」と決めつけちゃいますもんね。国内の不動産を買われてしまうということは、国土を買われてしまうということなのにね。アッ、ごめんなさい。今回のテーマ、<束の間のパラダイス>に軌道修正しますね。

顕著なのが東京メトロの車内で、通勤時間はいうにおよばずの混雑ぶり復活です。緊急事態宣言が解除になるまでは立っている人がいても、座席が飛び飛びに埋まってましたが今はびっしり。ただし全員マスクでおしゃべりは厳禁、換気のために上部車窓全開は徹底されてます。馴染みのお店のオーナーに夜の予約状況を聞いてみましたら、席数を制限しながらどこも満席のコンプレだそうです。また緊急事態宣言が発令されるかもという、緊張感と背中合わせの刹那的な解放感に浸っているというのが、お客さまたちの本音のようです。車中もレストランも居酒屋も、夜の主な顔ぶれはだんぜん若返り、せいぜいいても60代の前半までなのが笑えます。コロナ以前からあった昼飲みのご常連は、相変わらず高齢者が主流です。ガイジン観光客がいなくなった浅草や上野の屋台で、入社の同期会をしている70代後半が人生100才時代を象徴。2年間、鬱積していたパワー全開とばかりに、そこかしこで上がる怪気炎。国内にかぎり旅行業界も活気づいているようで、とくに人気なのが京都と金沢につづいて瀬戸内海と九州の門司や長崎だそうです。海外旅行がダメならせめてと、南国の宮古島の人気が定着。テレワークと趣味のダイビングをセットで満喫する若者たちが、宮古に移り住んでいるケースもあるとか。そうでした、フランスでも小中学生のいるテレワークの若夫婦たちの多くがパリを離れ、山の中で文字通りのメゾン゛・ド・カンパーニュ生活を継続。落第が珍しくないフランスですが、リモート授業のハンディーに免じて学校側が決めた落第ナシを危惧する親たちがふえているとか。それではメゾン・ド・カンパーニュと呼ばれる、別荘を持ってない人はどうするのかですって? 答えはひとつ、私は私でヒトはヒト。セ・ラ・ヴィの、それが人生なのさといいながら、フランス社会が抱える現状が見え隠れ。最近、わが国でもよく耳にする格差社会という言葉なんて、序の口もいいところですよ。