diary日 記 2021 / 11 / 15

日本語のルーツは中国の瀋陽あたり?

アレアレと思う記事を、ネットでみつけました。日本語の言語のルーツは約9000年前あたり、中国の東北部、瀋陽の北方を流れる西遼河流域のキビ・アワ栽培の農耕民にたどりつくという論文がありました。言語の拡散を農業が担っていたという学説で、数千年かけて遼東半島や朝鮮半島にいたり、まだ日本と呼ばれていなかった縄文時代にわが国に到達。途中の朝鮮半島で農作物に稲と麦が加わり、水田稲作が北九州に伝播したそうです。新しい言語が先住の縄文人たちの言語と置き換わり稲作文化が浸透するとともに、アイヌなどの民族を農耕が困難な地域に押しやって行ったと。ドイツのマーティン・ロベーツ博士ら人類史科学研究所の論文が、英国のネイチャー誌に載った概要です。沖縄はまたべつの言語体系を持っているそうですが、意外ですよね。稲作とモンスーン地帯がイコールで日本語のルーツはもう少し南西で、大陸から東シナ海辺りを経由してわが国に伝わったと思っておりましたが、あんがい寒冷地でキビ・アワ栽培地だったんですね。ただしこの説は日本語の言語学的な見地からの論文であって、稲作については諸説あります。紀元後3世紀の邪馬台国でも稲作が盛んに行われていて、部族間で戦いながらも、お米の栽培や収穫のときは諍いは小休止。みんなで団結、農耕社会を形成していたそうです。邪馬台国は中国の属国で、魏志倭人伝などで証明されてます。そのころのお米は、中国の福建省あたりが原産地とされている赤米だったそうで、現在、古代米と呼ばれて人気の雑穀米に入っている赤いお米。以前もこの頁に書きましたが、聖徳太子の時代から朝廷が遣隋使や遣唐使を頻繁に中国に送った本来の目的は、わが国の発展を中国に知らせに行くためでした。その副産物として、彼らが見聞した中国の文化や物がわが国にもたらされました。最澄や空海のあたりから属国としての報告義務の色彩がうすれ、わが国が独自に繁栄、発展。米作地帯の広がりはまだまだですが、農産物におけるお米の重要性がまして進化の歴史が開幕。農作物の過半を締めるお米が、権力者の有力な持ち駒になって、米農耕地争奪戦がはじまって武家社会が定着。その次は、米相場が市場を仕切ることになりました。

21世紀になって、日本食がユネスコ遺産に指定されたり、お米もお忙しいこと。たしかに白米の洗練度を世界中のグルメが絶賛し、お米にヘリシーな野菜感覚を持っている外人は多いです。農業技術の躍進で、銘柄の特上米が話題に。最近はアジアだけでなく食糧危機に瀕しているアフリカ諸国へも、指導員を派遣している時代になりました。赤道からの距離を計れば、アフリカ大陸も稲作にふさわしいことがわかります。お米が主食ではなく、雑穀として栽培されている地域はたくさんあります。地中海周辺では自然栽培のお米が食され、スペイン料理のパエリヤやイタリア料理のリゾットなど名物料理に名を連ねております。このコロナで中断しておりますが、南仏はアルルで<お米祭り>が盛大に開催され、お米の女王が選ばれるんですよ。インディカ米と呼ばれている長米ではなく、地中海辺りのは日本のお米みたいに丸いです。だだ残念なのは炊き方で、スーパーで買った袋から計らず蓋付きお鍋にいれて水道の水をジャー。沸騰したら火を小さくして焦げる前に止めます。お肉の付け合わせですから、マッイッカ!!! 日本語のルーツがお米の話になってしまいましたが、次回はジャガイモのお話でもしましょうか。それでは、ア・ビアント!!!!!