diary日 記 2021 / 02 / 01

給湯器が使えない2週間

給湯器の反応が鈍くなってはいましたが、「まさか」が現実になりました。すぐに東京ガス関連の<ライフバル>さんに来ていただき、給湯器を交換。ところが今年は例年にない寒さで故障件数がやたらと多かったそうで、工事まで2週間かかりました。そう思っているのはアンタだけといわれてしまいそうですが、生活人としての私はまったく我儘ではありません。まして工事の方の予定表がびっしり詰まっているといわれたら、待つしかないじゃないですか。思えば給湯器がわが家に来たのは、私が小学生低学年のころでした。そのころ遊びに行った友人の家は井戸を使っていて、おっかなびっくり底を眺めてましたっけ。給湯器のトラブルがあったおかげで、幼かったあの日が思い出せて、ほのぼのとしたおまけをもらった気分です。話を給湯器に戻しますと、料理を作るとか食器を洗うときに、お湯が出るに越したことはありません。でも、出なくても洗剤を多く使うとか、ささっと洗って拭きで誤魔化すとか、なんとでもやりようはあります。つまり、給湯器がなくても手が冷たいのさえ我慢すればいいわけです。ならば問題がなかったかといえば「ノー」で、お風呂もシャワーも使えませんでした。今はユニットバスが主流ですが、5年ほど前に引っ越してきた今のマンションのお風呂はお湯溜め方式。正式な呼称を知りませんが、バスタブの蛇口をひねると給湯器が作動する旧式のやつです。銭湯通いも考えましたが、名案を思いついて膝を叩きました。

「これで、プチ震災が体験できた」などとは、露ほども思っておりません。だって電気も水道も、ガスもトイレも普通に使えるのですから被災地の方々とは天と地ほどちがいます。ありがたきは給湯器と再認識しただけの生易しい話ですが、やればできるんだといったノリの電気ポットのテファール行水についてお聞きください。芸術の冒涜とお叱りを覚悟で申しますが、細身で可憐なドガの作品より、ルノワールが描く女性の行水をご想像ください。給湯器が壊れたままの2週間、行水は毎日、三日に一度はシャンプーもしました。まず、バスルームの洗面台のコンセントに、水を入れた容量0.8Lテファールのソケットを差し込みます。着替えを用意している間に沸騰したテファールを洗面器に移して、また水を入れてスイッチをオン!洗面器の熱湯を水で薄めて顔やからだを濡らし、石鹸をつけてゴシゴシ。お湯を節約しながら、石鹸をよく落としたころに、テファール第2便が湧きます。シャンプーをする場合は、この作業が5回はいりました。テファール行水をしながら、次回、パリに行ったらクリニャンクールの蚤の市に飛んで行き、印象派の絵画に描かれている金盥(かなだらい)探しに行こうと思いました。ここまでお読みくださって、もしかしてあなたは、もっと大きなお鍋でお湯を沸かせばよかったのにとお考えでしょうか? だって、洗面台にガス台は運べない・・・・・・は早計でした。イワタニの卓上ガスコンロを使うという手もありましたね。次に給湯器が壊れたときは、そうしましょう。なあるほど、なにごとも経験。明治女は強いとか、肝が据わった戦中派といわれますがこれです。つまり経験は力なり。コロナ体験も、いずれ役に立つことがあるかしら?毎日が戦場の医療関係者さんたちの苦しみを思うと、俯いてしまう私たち。スッピンに慣れ過ぎて、マスクを取る日が怖いなんて、おっしゃらないでくださいね、ア・ビアント!!!!!!!