diary日 記 2020 / 10 / 15

サロン文化ってなんのこと????

たとえばフランスには、カフェ文化という言葉があります。実際にパリの町を歩いていると、そこかしこに文化が香る有名カフェが点在。シャン・ゼリゼ大通りの<フーケ>、サン・ジェルマンの<レ・ドゥー・マゴー>やモンパルナスの<ドーム>など、コーヒー一杯で過去にカフェを訪れた人たちのDNAが遺した雰囲気を21世紀の現在でも濃厚に感じます。以前、ガラス越しにテラス席の空席を探しておりましたら、『枯れ葉』を歌わせたら一番といわれていた歌手のグレコが座っていらっしゃいました。サルトルたち実存主義者のマドンナだったグレコは残念ながらつい最近亡くなられましたが、彼女の面影がデ・プレのカフェから消えることはありません。時代を遡るとパリに出て来たJ・J・ルソーもディドロも、ヘミングウェイも、J・P・ベルモンドもアラン・ドロンも、なじみのカフェがございました。パリのカフェは訪れる人を拒まない、フランスのエスプリが漂う文化的な存在です。それでは今日、テーマにしたサロンはどうかと申しますと、カフェとはまったく別物。コーヒー代を払えば何時間でもいられるカフェとちがってサロンは、かぎられた人たちが集う場所です。著名な絵描きさんのプロフィールにサロン・ドートンヌ入選とよく記されております。ドートンヌはオータム、つまり秋にパリで開催される権威のある絵画の公募展のことです。様々な国際見本市会場もサロン〇〇なら、ファッションの世界ではパリ・コレもサロンです。身近な例では、家の中の応接間もサロンですよ。お花をいただいたときに家の女主が、「あら、素敵なお花をありがとう。さっそくサロンに飾りましょう」といった感じですね。サロンは元来が社交場を意味する言葉で、芸術、文学、哲学や政治など、あらゆる教養人が意見を交換して議論を繰り広げるプライベートな場所でした。

前頁のinf.で書いたビザンツ帝国の皇女とはアンナ・コムネナのことで、11世紀末のコンスタンチノープルの修道院併設のプチ宮殿で、サロンをたびたび開催。自分の父親であり、ビザンツ帝国中興の祖と称される大貴族出身のアレクシオス一世の一代記15冊を書き上げるために、あらゆるジャンルの著名人を招いて自ら学習。当時、世界中の富の2/3がコンスタンチノープルに集まっていたそうですから、稀代なサロンだったことでしょう。民族大移動と戦乱の西欧社会の混沌をよそに、高尚な元祖サロン・マダムを演じていた彼女に驚きを隠せませんでした。才色兼備で知られるルイ15世の愛妾、ポンパドゥール夫人は18世紀の方ですから時代がちがいますが、サロン・マダムはご自分の知的好奇心を満たすだけでなく、果てはお国のために役に立つ情報収集も忘れませんでした。時代は下り、ショパンを愛したジョルジュ・サンドあたりもサロン・マダムの面目躍如。かのバルザックが書き残したほど話題が豊富でおもてなし上手だったそうです。さてさて、わが国はどうでしょう。芭蕉のスポンサーだった江戸の豪商は男性ですし、ご趣味を活かしたサロネーゼはいらっしゃいますが、本物の上流階級を知らない私には、三島由紀夫の『鏡子の家』くらいしか思い当たりません。向学心旺盛な女主が、知識人をご招待してサロンを開く……。残念ながら、想像力のネジが飛びました。浮世離れした今回を反省して、次回は秋の味覚で行きましょう。昼夜の寒暖差が大きくなっておりますから、みなさまお風邪をひかないようにね、ア・ビアント!!!!!