diary日 記 2020 / 10 / 01

一般教養が役立つ時代かも

パンキョウという言葉が出現したころから、急激に世の中が変わった気がします。25年ぐらい前のことでした。パリに卒業旅行にいらした学生さんたちの会話の中にあった、パンキョウという言葉にひっかかった私に、反対に彼女たちがびっくり。「えっ、昔はパンキョウがなかったんですか?」と質問されてしまいました。パンキョウとは一般教養科目のことで、大学の一二年の必修科目のことでした。そう、カタカナのイントネーションが微妙におかしくなったのも、そのころではなかったでしょうか。たとえばクラブとかディスコとか、四半世紀で呼び方がちがってしまって、銀座のクラブなのか大学のサークルのことなのか判別しにくくなったと感じたものです。早くも話が逸れましたが、一般教養がパンキョウと呼ばれるようになったころから、日本中が教養という言葉をなんとなく小バカにするようになったのではなかったでしょうか。そして今、その反動のように熟年層が教養という言葉に敏感に反応。人生百年説がささやかれている現代、よりよい後半の人生を送るために教養が役立つのではないかと、人々がうすうす考えるようになったのかもしれません。

その昔、世界的に有名な音楽家名を20人即答できるのは、世界中で日本人くらいなものだといわれてました。ベートーヴェンにブラームス、バッハ、ショパンにリスト、シューベルト、ハイドン、ヘンデル、モーツァルト、チャイコフスキー、ドボルザーク、ドヴュッシー、ワーグナー、マーラー、ストラヴィンスキー、ヨハン・シュトラウス、シューマン、ラベル、プッチーニ、ロッシーニ、サン・サーンス、エリック・サティーあたりで20人になったでしょうか。そうそう、ブラームスも入れましょう。音楽家だけでなく、世界の文豪たちの名前や作品名を上げてみたりしたものです。そのほかに画家や、とくに印象派の画家たちにしぼったりもしました。もちろん、なにごとも知っていればいいというものではありません。知っていることと、分かっていることのちがいは大きいですし能書きはごめんです。たまたま入った、カフェではなく喫茶店で「月光」が流れていてうれしかったといった程度ですが、自分ひとり感動に浸るのは悦楽の境地です。一般教養の生物の授業では、植物名がすべてラテン語でした。訪れた国々で 泰山木の白い花を見るたびに、グランディ・フロラと教えてくださった教壇に いらした織田教授のお姿が忘れられません。これが本当の教養ではなく、頭に一般がつく教養というものなんですよね。ところが、かつてないがしろにされていた一般教養が、実生活に役に立つ時代の到来です。自己満足に過ぎなかった教養が、不穏な現代社会のシェルターになってくれそうな気配がします。定年退職してからの学び直しもその例で、都心の大学院に再入学する熟年層がふえているとか。高い授業料を払わなくても、最近は各ジャンルで簡単に書かれた専門書がありますからお手に取りください。あれあれ、内容が支離滅裂になってしまったすいません、次回で辻褄を合わせます。急に気温が下がってますから、みなさまお風邪をひかないようにね。