diary日 記 2020 / 07 / 01

『美しくにフランス』という本がきっかけ

フランスの地方料理にはまったのは、『美しくにフランス』という本を作ったのがきっかけでした。今、奥付を見ましたら1993年とありますから、リサーチと取材をいれますと、今から30年ほど前のこと。版元は料理専門の出版社として知られる、柴田書店から出していただいたハードカバー。ワールド・クッキングのシリーズの中の一冊なので、表紙に名前はありませんが取材も文章も私。写真は当時、よく一緒に仕事をしたアランに撮影をお願いしました。奥付にアランと私と、東京のデザイナーさんの名前が小さくアルファベットで記されてありました。そのころ東京を中心にレストランがふえてフレンチの全盛期を迎えておりましたが、地方料理は注目されてませんでした。時期尚早だったかもしれませんが、この本でいい仕事をさせてもらいました。「パリの地方料理店と市場」が副題にあるように、パリで本格的なフランスの地方料理が食べられるお店に絞りました。パリ時代はシェフたちに不義理することなく、取材に協力してくださったお店に足繁く通いました。わが国の景気も上昇気流に乗ってましたから、そのころからパリばかりでなく私も地方にどっぷり。もちろん関心はお料理にかぎらず、お菓子や陶磁器や地方の産物など生活全般に広がりました。ほんとうは和食を作るのが好きですが、いくら食材に凝っても正直いってフランス料理を作るときのイマジネーションがわきません。後者を作る醍醐味は、かつて訪れた町や村、そこで出会った人たちとの交流を懐しむことにあります。木べらでかき混ぜているお鍋の中身が牛肉でも豚肉でもなんでもいいんです、納得のいく味に仕上げながらノスタルジーを紡いているようなものなんですから。その意味でとくに印象に残っているひとつにトリップ・ア・ラ・モード・カーン、邦訳するとカーン風トリップと呼ばれているノルマンディーの名物料理があります。

つい最近、十数年ぶりに作ったカーン風トリップの仕上がりを、私の地方料理行脚の賜物にちがいないと臆面もなく自画自賛。イタリア語のトリッパといったほうが、わかりやすいでしょうか。牛の臓物の中でも第1と3を主に使い、ハチの巣と呼ばれている部位を5㌢角位にぶつ切りにします。臓物は苦手とおっしゃる方はレシピを聞くのもお嫌でしょうから、キッチンから出てノルマンディーの牧歌的な風景を思い描いてください。白に茶色の斑の巨大な牛たちが、リンゴの木の下で草を食んでいる姿が素敵ですよ。それにカーン風トリップを作る場合、前半は臓物特有の臭いにガマンとあきらめなければなりませんしね。下茹では念を入れて3回茹でこぼし、そのあとお鍋に大量の玉葱と人参を投入。水煮のトマトとトマトピュレ、ローリエの葉を加えてぐっつぐつ。かなり贅沢ですがリンゴ酒のカルヴァドスを、惜しげもなく注ぎましょう。カルヴァドスが手に入らなかったら、調理酒でもラム酒でも大丈夫。玉葱がとろとろに溶けた頃合いを見計らって、赤く染まったトリップの煮込みをお味見ください。「本物を食べたことがないから、本当の味がわからなあい」なんて、おっしゃらないでくださいね。この際ですから、絶対味覚を信じましょう。「ウーム、なにか足したい……」と思案の末に、ごろごろした茶色いキビ砂糖数個と、お塩で調整。一晩おいて、味が滲みてからの方が美味しいです。スープ皿にカーン風トリップをたっぷり入れて、皮を剥いて丸ごと茹でたジャガイモをふたつ添えてください。一口食べたホルモン好きのグルメ仲間から「これは臓物料理じゃないな」といわれて、ちょっとうれしかった。こんな昨今、やっぱり食べ物の話が無難ですね。