diary日 記 2020 / 05 / 15

捨てないで、思い出せなくなるから

コロナで「断捨離」なのか、都民のゴミの量が急増らしいです。ゴミの焼却能力はともかくとして、捨ててしまったモノは二度と帰ってきませんよ。今まであなたがとっておいたモノには、とってあっただけの理由があったはずではありませんか? 私は「断捨離」もしませんが、「終活」はもっとナンセンスだと思います。日々の掃除や片づけは、仕方がありません快適に暮らすために。なんといっても生活費の中で住居に費やす金額が一番大きいのですから、当然です。スーパーの安売りで得した金額は覚えていらっしゃるのに、住居費を日割り計算したことがないなんて、おかしいですよ。 高額な生活スペースがぐしゃぐしゃになっていては、まったくもってお金のムダ遣い。かといって「終活」と称して片付けばかりしていたら、時間の損失どころか人生の損失。寝っ転がって本を読んでいた方が、まだマシではないでしょうか。10世紀に書かれた『蜻蛉日記』の趣旨にも通じますが、人生、とくに女の一生は短いです。いやいや、女の方が長生きなのとは別問題。菅原道綱の母のような上流階級では妻訪婚の一夫多妻の時代と現代はちがいますし、蜻蛉のようにはかないのは男性も同じ。でもですよ、偏見と固定観念をお許しいただいたうえでの話ですが、通り過ぎていく事例は私たち女性の方が男性より圧倒的に多いのではないかしら。女性は過去に、男性は未来に生きるといわれるのがそれです。そもそも未知の未来にこだわったところで想像か空想の世界に過ぎないわけで、なにもないじゃないですか。それにくらべたら、過去に生きる私たち女性はより現実的。記憶に残る過去があるから、私たちの今があるのですものね。小学生でもあるまいし、整理整頓の四文字にこだわる必要はありません。さあ、大手を振って引き出しにある、あるいは飾り棚に眠っている、あなたが気に入って買ったか、お友達からもらった記念のモノをもう一度、じっくり眺めてノスタルジーに浸りましょう。

最近は「アルバム」というと、スマホのアルバム機能のことのようですが、コロナで外出を控えている今こそ、セピア色した家族のアルバムを眺めてください。あの日、あのときのことがまざまざと思い出されるはずです。昔の写真で忘れていた光景を思い出すように、何年も放置されたままになっている小物が、目に浮かびます。 あなた以外の方にはガラクタにすぎないモノが、それを見詰めることであなたの20年、いえいえ30年も40年も前の記憶を呼び覚ましてくれます。私の飾り棚に「アルプスの少女ハイジ」に登場するペーターやクララの、2㌢にも満たないお人形があります。 そのおまけのお人形が欲しくてお菓子をいとおしそうに握っていた娘のあのときの真剣な表情が蘇ります。はじめてクリニャンクールの蚤の市に行ったときに買った、銀のスプーンも私の宝物。埃まみれになっていた、記憶の断片がぎっしり詰まった無数の小物を磨くには、コロナの今が絶好のチャンスです。「終活」といって慌てている親友に、遠慮なく私はこう断言。「ちょっとやそっと片付けても、時間のムダ。私たちのオモチャは、子供たちには十把一絡げのゴミなのよ」とね。ヴェルサイユ宮殿を造ったルイ14世とほぼ同年代の詩人で寓話作家のラ・フォンテーヌが、「人間はなにもしないときにものを考える」とおっしゃってます。さあ皆さん、「断捨離」も「終活」もやめて、私たちも考えましょう。残り少ない人生を、いかに愉しく暮らすかについてを。