diary日 記 2020 / 04 / 15

母が作ってくれたガーゼのマスク

この数日、「ホーホケキョ・ホーホケキョ・・・・・・」の鳴き声が聞けます。ウグイスの声が不自然なほど大きいので、お隣りのマンションの住人がテレワークに疲れて、録音したウグイスの声のCDをかけているのかと勘繰ったほどです。さっそくインターネットでウグイスを検索しましたら、大きな声で鳴くとあったので納得。私が住んでいる築35年のマンションが建つ以前、この場所は植木屋さんだったそうです。地相というか、土地に染みついた遺伝子があるらしく、年明け早々にベランダに蝋梅をさしますとヒヨドリが飛来して花をパクパクで、そのあとがウグイス。聞いていると「ホーホケキョ」の間隔がまちまちで、合間に変則的に「チッチッチッ」が入るので本物。スズメとほぼ同じ小鳥サイズの、どこからこんなに大きな鳴き声が出るのか、響き渡る鳴き声はもったいないほどでした。お隣りのマンションとの境界線に植樹された木々に、巣を作ってくれたのならラッキー!!!! 澄んだ夜空のお月さまとダイヤモンドのように白く輝く金星と、昼間ウグイスも巡り巡って忌わしいコロナの副産物かもと思うと微妙。そうそう、必需品なのに手に入りにくいマスクですが、友人からもらった進化した手作りのそれを眺めていて、大昔に母が作ってくれたシンプルなマスクのことを思い出しました。

不確かな記憶ですが、私が小学生のころのマスクといえば手作りだったのではなかったでしょうか。小学校の高学年になると、今はどうだかわかりませんが、私たちの時代は1、2年生のための給食当番が回ってきました。そのとき用に、三角巾と割烹着のような白い上っ張りとマスクが必須でした。三角巾と上っ張りは学校が用意してくれるものを借りて、週末にお当番の生徒が自宅に持って帰ってお洗濯でマスクは自前。時代は64年の、東京オリンピック直後のです。薬屋さんはありましたが、今のドラッグストアのような大規模なお店はありませんでした。健康サプリもなければ、シャンプーはあってもリンスやトリートメントは存在自体がありませんでした。トイレットペーパーはありましたが、クリネックスも消臭スプレーも、なかったなんて信じられないでしょうが本当です。当時、お医者さまたちは、もちろんプロ用のマスクがあったにちがいありません。でもですよ、給食当番が回って来たのは覚えていても、マスクを買って持って行った記憶がありません。マスクといえば、薬屋さんで買ったガーゼを鋏で切って、ふっくらたたんで両脇に白くて細いゴムを輪にしてつけた、母が作ってくれたものでした。今の立体的なものや、プリーツはなくて平面のみ。もちろんかわいいプリントや色ものはなく、薬用の白いガーゼだけ。えっ、ガーゼも売り切れですって? だとしたら、しばらく開けていない和服ダンスの引き出しにあるはずの、古いけど手つかずの晒で作りましょう。ないならないで工夫して作る楽しみもコロナの副産物だとしたらガッカリですが、その部分だけは許します。工夫ですよ、みなさん工夫してコロナを日本列島から撲滅しましょう、エイエイオー!!!!!!!