diary日 記 2020 / 03 / 01

ノストラダムスがおっしゃるとおり、清浄な空気とバラかしら

マスクの数が着々とふえている無言の町を歩いていて、ノストラダムスのことを思い出しました。後世に『ノストラダムスの大予言』で名を残す彼は、実は名にし負う名医でした。手元にある『ノストラダムスの万能薬』をひもとき、冒頭の訳文を抜粋してみましょう。「ペスト治療で名を馳せた名医、当時話題の治癒者、センセーショナルな未来の預言者、フランス王家お気に入りの占星術師、自然薬に通暁した薬剤師、秘法に通じる錬金術師。こんな形容は、一五四七年から死に至る一五六六年まで南仏プロヴァンス地方のサロンの町で名声を思うままにし、秘密と謎に満ちたこの医術師に当てはまる」とあります。苗字のノストラダムスで呼ばれていた彼は息子で、名前はミッシェル。幼くして祖父から高度な教育を授かりましたが、浮世離れした学問に没頭する長男を心配して父親が、16才のミッシェルを医学で名高かったモンペリエ大学に送ります。そこで19才で学士号を取得した6年後、モンペリエの司教から開業医として最高の資格を与えられております。フランス南部がペストの流行に見舞われた時代のことでした。ノストラダムスは博士号の取得をあきらめて、町に出て病人の治療に専念。ペストは汚染された空気から感染するという持論から、特効薬を開発。さまざまな薬草の最後に大量のバラの花びらを練りこんだ、『薔薇の丸薬』を口に含んで清浄な空気を吸えば治ると人たちを指導。奇跡的な治療法の持ち主として、名声を手にして再び博士号の準備にモンペリエ大学に戻ります。そこで『ガルガンチュア物語』で知られる中世最大の作家、ラブレーと知り合い意気投合。それにしても感心するのは、ノストラダムスやラブレーの遠大な移動距離。ちなみにラブレーはロワール川のほとり、トゥールの町の近くで生まれております。セルバンデスが書いた『ドン・キホーテ』は小説ですが、れっきとしたモデルが存在。歴史の中の彼ら、面白すぎます。

ペスト患者の中で孤軍奮闘するノストラダムスに、パリの宮廷からカトリーヌ・ド・メディシス王妃が興味津々で注目。そうです、イタリアの名門、メディチ家からフランソワ1世の息子のアンリ2世に嫁いだ、権謀術策に長けた太后カトリーヌです。ペストを患う病人に囲まれながら、ペストに罹らないノストラダムスを王妃がパリに何度も召喚。王室御用達の郵便馬車とはいえ、丸1ヵ月の長旅の末にノストラダムスがパリに参上。国王夫妻をはじめ、貴族や裕福な顧客を得てパリでも大活躍します。医学的な技術を駆使した独自の製法の精力剤を、王侯貴族の殿方に披露。淑女たちには天然素材の顔料やシミ取り軟膏を調合して、信頼を得ます。そうそう、私の部屋にもバラの原液がありました。明日からマスクの代わりに薔薇の原液をこめかみに塗って、コロナウィルスにそなえましょう。バラの丸薬の代わりに、バラジャムがいいかも。ノストラダムスの大予言より、彼の空気清浄説の方が当たりですね。