diary日 記 2019 / 12 / 15

次はパリからセーヌ川に沿って印象派の旅ね

南仏旅行の成功に気をよくした私たちは、来年は無理でも3年後ぐらい先をめどに、次回は「印象派を追ってセーヌからノルマンディー」がいいのではと計画を進め、早くも盛り上がってます。南仏は遠いですから、今回はパリがトランジェットでした。シャガールもマチスもルノワールもセザンヌも、パリからそれぞれに南仏にアトリエを移して晩年を迎えてます。時代が前後しますが、印象派の発祥はパリです。モンマルトルの麓、クリッシーの「カフェ・ゲルボア」に屯し、アブサンを飲みながら芸術論に気炎を上げてサン・ラザール駅発の列車に飛び乗って家路についた彼ら。サン・ラザール駅は100年以上たった今も、モネが描いた当時のまま。彼らのだれもが貧しく、パリ市内にアトリエがある住居の確保は無理でした。ピサロが住んだポントワーズもルノワールの「舟遊びをする人々の昼食」に描かれているシャトゥーも、もちろんモネで知られるジヴェルニーもセーヌ河のほとり。ブルゴーニュ地方の近く、モルヴァンという山奥を源にするセーヌ川がパリを抜け、大きく蛇行して太陽がさんさんと輝くノルマンディーの海に注ぎます。南仏の「巨匠たちのアトリエ巡り」の第二弾は、迷わずパリからノルマンディーを下る印象派コースに決めました。

まずモネが描くルーアンの町で、高級レストラン「ラ・トゥール・ダルジャン」に納めている鴨料理をいただきます。パリ市内を出て50㌔もしますと、あたり一面麦畑。ルーアンで代々専業農家の友人に、フランスの車窓から田園風景をいくら眺めても、トラクターや耕運機もなければ、働いている農民をみたことがないのが不思議ねと聞きしましたら、こう答えが返ってきました。「農業国の沽券にかけて、僕たち農民は勤勉に働いているよ。ただ、パリの人が働きはじめる時間には、仕事の半分が終わってる。そうだね、早朝に仕事を片付けるから日中は畑にいることがあまりないかな」ですって。ルーアンを過ぎると穀倉地帯を抜け、あたりの景色がリンゴや梨畑に変わります。リンゴの大木の根元で、ノルマンディー種の大型牛がフェルディナンドよろしく、日がな花の匂いを嗅いでいる光景を思い浮かべてください。秋なら小山になったリンゴの実が、果樹園のそこかしこに見受けられます。山積みのリンゴは主に家畜の飼料になりますが、一部は蒸留所に持ち込まれてアルコール度数の高いカルヴァドスに。そうですね、行くならリンゴの花咲く5月ごろもいいかしら。やがてセーヌの川幅がまし、ノルマンディーの海が出現。光を求めてセーヌを下った、印象派の画家たちの気持ちがわかります。エリック・サティのピアノとカモメの鳴き声を聴きながら、オンフルール旧港のビストロでムール貝とフレンチポテトをつまみましょう。三年先のことなら、鬼にも笑われないかも。今年も、どうもありがとうございました。