diary日 記 2019 / 09 / 15

9月12日 ホテルオークラ東京開業

The Okura Tokyo 開業のパンフレットの表紙を見て、リニューアルオープンかと思っておりましたので、開業に微妙なニュアンスのちがいを禁じえませんでした。ページをめくると、「ホテルオークラ東京から、The Okura Tokyo 誕生」とございました。次のページからの施設概要で、まずは「ああ、よかった。フランス料理・ベル・エポックが残ってる」とひと安心。バブル崩壊後、一流ホテルのメインダイニングからフレンチが姿を消すケースが多かったので気になりました。「オークラ」といえば、長くフランス料理をけん引していらした小野正吉シェフありき。もちろん小野シェフ以前、わが国のフランス料理の発祥は鹿鳴館時代にさかのぼるわけですが明治・大正の御代は官主導。民主主義の所産か、戦後は民間の大ホテルが官に代わってわが国のフランス料理を先導。リーダーさんは、紛れもなく小野シェフでした。氏のベル・エポックなくして、わが国のフレンチは語れないといっても過言ではありません。さすがです、正面玄関のロビー近くに、ヌーヴェル・エポックと改名した、かつてのベル・エポックが堂々オープン。ちなみにベル・エポックというフランス語の意味は古き良き時代のこと。新装なったヌーヴェル・エポックはといえば、そのまま新時代ですから、改名作業のご苦労が偲ばれます。それでは次に、ざっくりホテル内を見学してみましょう。

パンフレットの最後に載っている地図をみますと、工事中に営業していたスペースが、「ホテルオークラ東京別館」になってます。工事塀のベールが落とされるや、地上17階の「オークラ へリテージウィング」と41階の「オークラ プレステージタワー」の2棟が出現。 旧館と呼ばれていたのが前者で、わが国の文化遺産を思わせる低層階。新館と呼ばれていた棟は、にょっきり高層で宴会場で知られる「平安の間」などの名称も継承。正面玄関の5階にのびるシックな通路で2棟がつながり、客室総数508室。これぞ、民族系ホテルの面目躍如といったところでしょうか。帝国とニューオオタニ、オークラを称して「御三家」とされておりますが、帝国ホテルは別格。ニューオータニもオークラも、ともに先回の東京オリンピックのために1962年に創業。ニューオオタニの現社長は、創業者のお孫さんです。今回のオータニについていえば、戦後、公職追放で帝国ホテルをやめざるを得なかった大谷七郎男爵が、華族だった意地で帝国を超えるホテルを目指して誕生したとか。20年を目指して乱立するホテルを横目に、東京人が自慢できる新名所がひとつできました。