diary日 記 2019 / 01 / 01

年のはじめに思うこと

今さらといわれそうですが、ようやく人生に慣れてきた気がいたします。槍でも弓でも、ドンと来い。達観という言葉が今の心境にふさわしくもあり、災難はわが身に降りかかって欲しいと神さまに祈ります。さてさて、なんの神さまにするかが今後の課題。「宗教についての本は売れない」と、よく聞きます。そうですよね、自分の中にいる神さまのことを、他人にとやかくいわれたくないですものね。新年早々に形而上的なことを申しまして、今年は先が思いやられますわ(笑)。そこで、これから現実的に、おせちの話をしましょう。まず、いつから一般家庭がおせちを買うようになったのですか? 私が東京を留守にしていた間に、気がつくとさまざまなことが変わってました。そのひとつがお正月のおせちで、2000年に戻りましたらコンビニにもあるし、デパートで「買って当たり前」になってました。私が知らなかっただけで、昔からデパートで有名懐石や割烹のブランドおせちがあったのかしら? 10月ごろ、デパートのパンフレットに写真つきで載っている高級おせちのお値段を見てびっくり。昭和のお母さんたちは、おせちを買うことに後ろめたさを感じていたのではなかったでしょうか? でも、まあ、デパートから配達圏内だけに起こる現象ではありますが。

パリで幼い娘に日本のお正月らしさを見せたい一心で、せっせとおせちを作りました。ある夏、東京のデパートの食器売り場を姉と歩いていたとき、彼女が買ってくれた塗りの小さな三段重が、パリのお正月で大活躍。お煮しめに欠かせないどんこや昆布は、東京に一時帰国した夏場にまとめ買い。フランスに大粒の白いんげん豆があるので、豆きんとんが上手に仕上がりました。伊達巻、昆布巻き、ごまめ、なます、etc. 合羽橋でさがした、ジャポネスクな型抜きで人参や南瓜の花を散らして喜んでいた、過ぎし日が蘇ります。大福も串団子も、中華食品にあった糯米の粉で作りましたっけ。あるとき、たまたま東京から来ていた友人が、幼い娘が食べていたお餅を手でつまんで、パクッと口にお入れになりました。当時、まだわが国で珍しかったエストラゴンやフヌイユなどのハーブ事情を調べにパリにいらしていた、園芸家の高津さんとおっしゃる方でした。その日の午後の飛行機で成田にお帰りになったのですが、なんと10日後に航空便でピンクの『もちっこ』という東芝のかわいい餅つき機が届いたんです。あのとき、娘が美味しそうに食べていた糯米の粉で作った黄な粉餅を口に放り込んで、「こんなの食べてんの」とつぶやいたときの高津さんのつぶやきの意味が、わかりました。それからパリを離れるまで、東芝の『もちっこ』をつかうたびに、あの日のことを思い出します。フランス人の子供たちに、意外にもお餅が好評。件の高津さんはハーブやフランス野菜で成功なさったのですが、バブルが弾けて連絡が取れなくなったままです。パリで作っていたおせちの話がいつの間にか捜索願になってしまいましたが、高津さんの消息をご存じの方がいらしたらご連絡ください。あらためて、東芝の餅つき機のお礼をいいたいので。今年も、どうぞよろしくお願いします。