diary日 記 2018 / 12 / 01

西暦表記でいいかも?

ええと、794年、1096年、1192年、1271年、1274年と1281年、なんといっても1492年の次は……1600年からずっと飛んで1776年と1789年、1804年、1868と1894年、1904年、1914年と1945年、そうそう1917年も入れておきましょう。 以上、思いつくままに数字を上げてみました。794年から順に簡単に記しますと、『平安遷都』でナラガナクヨと覚えませんでしたか?1096年は『第一次十字軍』、頼朝の『鎌倉幕府』ができ、次は私が大好きな『マルコ・ポーロ』が、突然現れた父親と叔父さんに連れられてヴェニスから東方に旅立った年です。1274年と1281年は蒙古のフビライ軍に襲撃されたわが国が奇跡的に勝利した『元寇の役』の年で、マルコの『東方見聞録』に当時のわが国の様子が詳しく語られているのが、偶然にしては出来過ぎなほどでした。1492年が『コロンブス』だということは、中学生でも知ってますよね。1600年は家康の『関ケ原』、『アメリカ独立』と『フランス革命』に続く『皇帝ナポレオン』から一挙に『明治維新』と『日清』『日露』と『第一次世界大戦』で日本帝国が三連勝して、1945年の昭和20年がはじめての『敗戦』でした。1917年は『ロシア革命』で、社会主義と資本主義のイデオロギー闘争の幕が切って落とされたわけですが、ロシア文学史上を飾るネタの宝庫といった印象です。いかがですか、1945年が昭和20年だったことは印象的ですが、西暦になじんだ私たちに元号は無縁ですよね。明治の御代からは「一世一元」に決まったので明治、大正、昭和、平成ですみますが、その前は享保の改革や天明の大飢饉ぐらいしかないかも。

上述したように該当年の数字に親しみを込めながらも、心の底ではキリスト誕生以前と以後できっちり線引きされた西暦に抵抗がないわけではありません。イスラム年というのもございますし、私たちが知らないだけで様々な人たちが、自分たち独自の紀元を持っていて当然ですものね。グローバリゼーションとか国際化が果たしていいことなのか、9.11あたりから私たちは「なにか、ちがうんじゃないの?」と感じはじめていませんか?西暦って欧米先進国の傲慢の所産かもしれないと思いながらも、わが国も先進国にちがいないと言葉に詰まり思いを巡らせていくうちに、移民問題などもあることですし、「このままでは鎖国するしかなくなってしまうのではないの?」といった、極論にいたる始末。でも、とりあえずパスポートが西暦のみなので、元号の有無については考えないことにします。でもですよ、元号制がなくなって不都合が生じても、きっと数年したら慣れますよね。今まで元号が廃止されなかった方が、不思議といえば不思議かも。ついに師走、みなさま転ばないように気をつけましょう。