diary日 記 2018 / 10 / 01

物書き稼業でよかった!!!!

なにがいいって、この歳までやってきた物書き稼業の一番の長所は「元手いらず」です。『資本論』のはじめの方に、賃銀のくだりがございます。賃金でなくて銀にこだわっているわけで、私がまちがえているのではありません。『資本論』のその部分を私なりに解釈させていただきますと、たとえば工場とか店舗といった資本を持たない労働者は、自らの労働を提供する代わりに、衣食住や子供の養育費を賄うためのお給料を賃銀としてもらう。マルクスがいっている労働者の範疇に、私のようなフリーランスは出てきません。賃銀が養成費に比例しているとも書いてあったような。どちらにしても、マルクスを知らない学生がたくさんいるそうですから時代遅れですが、思想史として評価できます。話しを戻して、「ジョルジュ・サンド」(略してGS)という焼き菓子屋をしていたころは、お家賃や公共料金、スタッフさんのお給料、それと仕入れやクリーニング代などの固定費の捻出が急務でした。店を閉めて、かつてGSの商品だったガトーショコラを自宅のキッチンで作りながら、しみじみこう思いました。「私にとってお菓子は、作って友達にプレゼントするものであって、売ってお金をもらうものではなかった」と。まったくもって、この発想からして商売人失格。履いていた二足の草鞋の片方を脱いで本業一本に戻してはじめて、「元手いらず」の物書き稼業のありがたさを痛感。神さまは自らの職業に感謝を怠っていた私を戒めるために、私に焼き菓子屋をやらせたのかも。マンションの管理費や税金など、生活費はかかりますが、物書きほど軍資金のかからない仕事も少ないです。パソコンや本代、映画を観たりのレジャー代はいりますが、なにもしなくてもパソコンはいりますし、本も読みたい映画も観たい。もし〆切のある仕事がなかったら、今の数倍本代や遊興費がかさむことでしょう。24時間の使い方を工夫して、優先順位に従って、原稿書いているのですから。

なぜ今日、物書き稼業のことを言い出したかといいますと、親友と歓談していた成り行きでした。「ママなんて、会社に勤めないで暮らせてラッキーなんだから」と、学校を出て就職したばかりの娘が私に申しました。娘にラッキーだといわれて、それから数日ハッピーでした。今、書いている小説もたぶんそこそこいけると思いますが、日常的にこなしている注文原稿や単行本用の原稿を書く私の心の底にある思いはなにかと、はじめて真剣に考えてみました。そして真摯という熟語に思い当たり、マジメでごめんなさい。そのくせ、後で直せばいいんだからと、巧遅より拙速と言い張る私。依頼されたテーマについて真剣に考えていれば、哲学者でなくてもだれだって、そこそこいい考えが浮かびましょう。定年がないから残念、定年を境に生き直しができません。おいそれと、歳など取っていられませんわ。