diary日 記 2018 / 04 / 15

セレブって、誉め言葉ですか?

東京の、それも銀座の有楽町寄りというか、帝国ホテルの斜め前の泰明小学校がちょっと話題になりました。イタリア人デザイナーのアルマーニの制服を着た入学式の光景を、TVでご覧になった方もいらっしゃるのでは。銀座にある小学校なりの、セレブ感を出したかったらしいですよ。でも、見てがっかり。着せられた子供がお気の毒、8万円以上の制服、といっても標準服だそうですが、買わされた親もお気の毒。学校自体がブランドで、それに群がる名門私立の親なら好きで着せているのですから仕方ありませんが、義務教育で当たり前に通う区立の小学校ですからまずいですよね。百歩譲って、それでも子供に似合っていて、のびのび自由に動ける軽快さがあるならまだしも、「アレはなんだ?時代錯誤だ、学習院じゃアルマイニ!」といいたくなるようなデザインで、「服育」もありませんね。「食」がブームになって、「食育」という言葉が誕生したときは納得しました。たしかに、私たちにとって口に入れる食品に関する知識は、とても大切ですもの。

よしんば「服育」があったとしたら、素材の通気性、吸湿性、保温性、丈夫さ安全さなどの機能性が最優先でプラスして趣味がよければもっといい。それが、まるでマルセル・パニョルの映画に出てくるみたいに、修道院併設の学校の前世の遺物のような制服って、正直、おかしいです。「ボタン・ゲール」という、60年代フランスのいたずらっ子映画がありました。物語は南仏の、自然を背景に緩やかに時間がたっていく大人たちの生活とは裏腹に、隣接したふたつの村に巻き起こる子供のおおらかな戦争なんです。敵の大将の服のボタンを先に取った方が勝ちなので、雑木林の中で泥んこになって子供たちがボタン争奪戦を繰り広げるわけです。そのうち、取られるボタンがないように、子供たちが服を脱いで裸になってしまうんです。今の世の中ですとペドフィル、つまり幼児性愛が問題視され放映禁止になる危険性をはらんでおりますが、アルマーニを着せられた小公子系のアンチテーゼとして、「ボタン・ゲール」を思い出しました。ところで、ずっと気になっているのですが、セレブって本当に誉め言葉ですか?英語のセレブリティとかフランス語のセレブリテは、ともに有名人とか高名な人物という意味。セレブ志向で子供にアルマーニでは、かなりちぐはぐですよね。それに東京の、それも銀座の区立小学校で究極の私立みたいな制服が話題になって、地方の方に対して恥ずかしいです。ただでさえお受験熱が東京のアホらしさの象徴になっているというのに、それを実証しているみたいじゃないですか。それにしても加計学園もそうですが、なんやかや反対しても実現してしまうところが日本ってスゴイですよね。デモとか反論のための反論が得意でヒマになった団塊世代のオジサマ方、図書館通いや居酒屋に群れて昼飲みしながら○○批判ばかりしてないで、立ち上がる時期ですよ。私たちも応援しますから、適当でいいから頑張ってください、エイエイ・オー!!!!!!