diary日 記 2017 / 05 / 01

「 フランス大統領選 」

アメリカの大統領選ほど沸いてませんが、中道と極右の対決でこの5月7日にフランス大統領選が行われます。そういえば15年前、今回の最終候補に残ったマリーヌ・ル・ペンの実父で極右「国民戦線」の党首だったジャン=マリ・ル・ペン氏がやはり同じケースだったことを思い出しました。あの時は結果、ジャック・シラクが大統領になったので、今回も大丈夫だろうと高を括っていると、万一が起きないともかぎりません。英国の国民投票とアメリカの大統領選に続く、三度目の正直が吉と出るか凶と出るか、油断は大敵。とうぜんですが、自由の国フランスに極右政権が樹立されたら大変。国民の危機感が、もっと煽られるといいけれど。それがあって、対する39歳のマクロン候補に、いやが上にも期待が集まります。実現したら、第五共和政フランス史上最年少。金融関係の出身で、前経済相でありながら無所属出馬というのがかなり新鮮かも。それにしても地球が約23.5°傾いているとはいえ、世の中がだんだん右になっている気がしませんか?

大統領選挙で思い出すのが1981年のやはり5月、ミッテランの社会党政権誕生の瞬間です。当時、カルチエ・ラタンと呼ばれている学生街の螺旋階段5階、日本式の6階の小さなアパルトマンに住んでいたんです。夜になって開票結果が出てミッテランが新大統領に決まったとたん「ウォー!」と、閉まったガラス窓の中側にまで、屋外で狂喜する人々のざわめきが伝わってきました。すぐ窓を開けると聞こえたのは、若者たちの「ミッテラン万歳!!!」の連呼でした。フランスの政治に無知だった私にも、ミッテラン人気がわかりました。革新、つまりフランス語でいうゴーシュ(gauche)の完全な勝利に若者たちは酔いしれました。もちろん社会党政権に脅威を感じる人たちが富裕層にたくさんいて、フランス脱出を企てる資産家たちが高級車で、スイスに向かう様子がニュースで報じられたりもしてました。私の生活圏は一貫してパリ左岸、リヴ・ゴーシュでしたから、町の空気は終始ミッテラン歓迎ムードでしたが、右岸の金融街や高級住宅地では左翼化に眉をしかめる人たちが多かったようです。ミッテランの少し前に隣国イギリスではじめての女性首相、サッチャーが政権を取っていたので、ドーバー海峡を隔てた極端なちがいが注目されもしました。14年間の長期政権の途中にフランス革命200年祭の記念モニュメントとして新オペラ座、デファンス凱旋門、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドなど、大規模な土木工事が次々に完成。ミッテランはド・ゴールに次いで、国民に信頼され、親しまれた大統領でした。記者会見で愛人問題に言及したジャーナリストに対して、「エ・アロール」、邦訳すると「だから、なんなんだ!」と一喝したのは有名な話です。ミッテランにくらべたら、後のシラク、サルコジ、オランドと、フランスの大統領もだんだん小粒に。わが国だけでなくリーダー不足は、先進国に共通する悩みのようです。さてさて、アンチ極右を祈ってみなさんも、フランス大統領に注目してください。