diary日 記 2017 / 04 / 01

再読・再会・再訪のすすめ

昨日の夕方、パリから戻りました。12日発売の新刊の校了をすませ、印刷所に入れた段階で、その日のエール・フランス深夜便で羽田を発ちました。往復を思うと6泊の滞在ではもったいなくもありましたが、今月の頭に外したくない用事が重なっていたのと安い航空券を探したので、選択の余地がありませんでした。未明のパリに到着後、予約しておいホテルのコンシェルジュにトランクを預けて国鉄の駅へ。今回はひとり旅ですから、慣れたパリはざっくり足早に通り過ぎました。といっても、「家の光協会」さんで昨年の6月に出してもらった『人生後半をもっと愉しむフランス仕込みの暮らし術』の最後の方にご登場いただいた、オペラ座近くの<国虎屋>といううどん屋さんに伺い、オーナーの野本さんにご挨拶。パリに行くたびに会食する旧友と、近況を報告しあいました。数年前からパリ旅行の目的に、パリの町と、かつて訪れた地方の町や村の再撮が加わりました。この10数年で様変わりした東京を思えば、パリとフランスの地方にばかり古き良き時代をとどめておいてほしいと望むのは、エトランゼの身勝手であると反省。これからはフランスも、東京だけでなく日本の地方にも積極的にトライすることにします。なにしろ「青年老いやすく……」どころか、老いは中高年でさらにスピードアップしますからね。それにデジカメのおかげで素人の私にも、HPにアップできる写真が撮れるようになった点は技術の進歩に脱帽。

初日に向かった先は東に300㌔強の、ナンシーの町でした。新幹線のTGVがなかった時代は、パリとナンシー日帰りは無理だったことでしょう。ナンシーについて簡単にご説明しますと、首都のパリよりアール・ヌーヴォー様式が息づいているリッチな都市です。自分でいうのもなんですが私、運動ぎらいのわりにフットワークがよくて、予定の前倒しが得意。明日できることを、今日してしまうのが大好きなんです。ナンシー行きの翌日は、地理的に反対側の大西洋方向のポワチエの町に行きました。高校で世界史を選択した方ならポワチエと聞いて、うら覚えながらサラセン軍との攻防戦の果てにキリスト社会が勝利した地ではと思い当たることでしょう。それにいたしましても、中世前期の教会建築の超規模的な修復の様子に、文化大国フランスの端倪すべからざる底力を痛感。3日目のリモージュも、とてもよかったですよ。パリに戻る、最終の1本前のTGVの窓の、漆黒の世界を背にして映った自分の顔を見ながら、ふと、こんな思いが去来しました。東京集中のわが国と、地方が元気なフランスのちがいって、なんなのかしら?そんな私の思いを、パリ到着を告げる車内アナウンスが中断。言い古された例えですが、石の文化と木の文化ですかね。羽田行きに空席がなかったのは、お花見が目当てでこの時期に日本を訪れるフランス人が急増しているからでした。