定年後に描くバラ色の人生

2014/7/15 

田舎暮らしに日仏のちがいがあるとしたら、ズバリ住居です。なぜ今、フランスの田舎暮らしかといえば、パリ時代の親友夫妻から転居通知が届いたからでした。私をはさんでお歳は上と下ですから、ご夫婦で定年を迎えての移住です。夫のピエールがパリ郊外、マダムのマリは生まれも育ちもパリでした。したがって、どちらかの生まれ故郷に帰った、俗にいうUターンではありません。お引越し先は真剣に、長い時間かけて探しあてた終の棲家にちがいありません。バカンスで逗留している町や村の不動産屋さんの窓ガラスに貼ってある物件案内を、真剣に見つめている人々の光景が、思い浮かびます。わが国でいえば軽井沢、八ヶ岳、原村、泉郷などの別荘地が候補になるのとは、わけがちがいます。繰り返しますが、彼らが探しているのは別荘ではなく、終の棲家です。

バカンスのために働くといわれる彼等ですが、もう少し長いスパンで眺めると彼らは、定年後の楽しい生活を夢見て働くといっても過言ではありません。「定年後も元気なうちは働いてもらわなくっちゃ」などといったら顰蹙(ひんしゅく)を買うどころか、そのまま意味不明な言動として抹殺されることでしょう。「もういくつ寝るとお正月」と歌った昔の子供たちさながら、定年までの歳月を指折り数えて待つわけです。もちろんパリにもお年寄りがたくさん暮らしてますし、だれもが老後に田舎暮らしを希望するわけではありません。深夜の路上で猫に、餌をあげるのを生き甲斐にしている老婆がいます。リュクサンブール公園のベンチに座って、前を通る子供たちを呼びとめては小言をいう、説教爺さんもいます。それでも勤め人は、「待ってました定年」とばかりに田舎に移住するケースが一般的。そうそう、行きつけだった市場のチーズ屋さんも魚屋さんも、店を息子夫婦に譲って田舎暮らしをはじめましたっけ。転居通知をもらっただけで訪れたわけではありませんが、ミシュランの地図の索引からアドレスにある村の地位を確認。大雑把にご説明すると、動物壁画で知られるラスコーの洞窟があるドルドーニュ川から、50キロほど離れたフラン西南部の、町ではなくてたぶん村。雑木林と草むらの緑に包まれて佇む、彼らの堅牢な石の家にズームで近づいてみましょう。柵も塀もない家の前の、出しっぱなしのテーブルに果物とパン・ド・カンパーニュと、半分ほどワインが入ったボトルがあります。家のドアが今しも開いて、サラダボールを持ったバミューダ姿のピエールとマリが現れて来そうな気配がします。あーあっ、田舎暮らしはなおさら、愛がないとやっていられませんね。