トライ・トライ・トライ!!!!

2013/7/15 

「フランスに行きたいんですけど、行けますか?」 「フランス語を勉強して、将来はパリで暮らしたいんですが夢ですよね」 はたまた、「パリで働きながら、フランス語がマスターできればいいんですが、無理ですか」 こう聞かれたときのわたくしの答えは、ただひとつ「トライ・トライ・トライ!!!」 そもそも、お聞きになる相手をおまちがえですわ。思い立ったら吉日と、走り出してから考える、おっちょこちょいがわたくし。ごく軽い気持ちでパリに行き、あたりを眺めて「なかなか面白いかも」で20年のわたくしに、なにも申し上げる資格はございません。先の「トラ・トラ・トラ」はご存知、真珠湾攻撃の成功を本国に電信したときの暗号です。トライを3回いってみての語呂あわせ以外に、他意はありません。

たまたま先週、パリ時代に仲良くしていた日本人シェフと10年ぶりに神楽坂で再会。メジャーになられてよかったと、彼の成功を祝福できてうれしい語らいの時間でした。そのときの話題のひとつがきっかけで、このDiaryが「トライ・トライ・トライ」になりました。「当たって砕けるだけよ。つべこべ言ってないで、やるしかないんだよ。だって、料理作るしかないんだもん」というシェフの声に、忘れかけていた「あのころ」が蘇りました。ときに小躍り、たまにしょんぼりの試行錯誤がわたくしのパリでした。でもわたくしだけでなく、思い返せば周りの日本人のだれもがそうだったかもしれません。みんな、どうしているのかな? あのころの交遊録をたぐって、みんなに声をかけてみたい気もいたしますが、時期尚早かも。 それでもみなさん、金子光晴が『ねむれ巴里』を書いた時代ではないのです。今ならパリにだれでも行ける、パリのどこでも暮らせます。そう思うと林芙美子や与謝野晶子の、愛憎なかばするフランス観が生まれた背景がむしろ妬ましい。そこまでさかのぼらなくても68年、「五月革命」のパリに居合わせたかった。時代考証はひとまずおいて、まずはトライしてみて、つぎのステップを考えましよう。人生って、ひどく不平等にできていて、なにもしない人には長いのに、なにかしようとする人にはめちゃ短いんですものね。