岸恵子さんの「最後の男」になれるなら

2013/6/1 

「小説のモデルになった男性の、ご家族がお気の毒」と、本を閉じたとたん、そんな思いにとらわれました。それもまた、岸恵子さんの小説の力の成せる業というべきでしょうか。挙句の果てに岸恵子さんって、マジメな方なんだなと感心。自宅のテーブルの上に置いてあった「わりなき恋」を、自室に持ってあがって完読。岸恵子さんの最後の恋人になれて、兼太さんのモデルになった男性も、本望にちがいありません。もっとも岸さんですから、相当な自信家じゃなきゃ近づけませんわ。ファーストクラスじゃなきゃ、だめなんですもんね。ビジネスにしておけば、もっと現実味があったのにとも。女友達のひとりが、こう言いました。読後、『マディソン郡の橋』を読んだときに似た思いがいたしましたっけ。あれはメリル・ストリープとイーストウッドが演じた、映画の方が勝ってました。ぜひこれも、テレビでも映画でもどちらでもOKですから、映像化してほしいです。主人公の笙子は、もちろん岸恵子さんご本人。原作者が主演する映画って、世の中にそうありませんものね。

噂ばなしも、たまには聞いてください。パリの日本人の友人曰く、パリの日系企業のトップたちはみんな、主人公の男性がだれだかわかっているみたい。フィクションだということは百も承知で、それでも岸恵子さんの男性の好みって、「ヘエッーッ」でした。古いタイプの企業戦士も許容範囲だったとは、これもちょっと意外でした。せっかくなら彫刻家のボテロとか、俳優のファブリス・ルキーニのような、アート系の男性を愛してほしかったのにと、読者はなんとも勝手なことをもうします。それでも岸恵子さんは私にとって、永遠に憧れの女性です。熟女を越した高齢女性の性愛事情が悲観的に描かれてましたが、その点について80代の友人女性が、「訓練不足!」とばっさり切り捨ててくれたのには励まされました。そうですよ、「私でも、もういちど熱い恋ができるかも。ひと回り下の男性に愛されるなんて、恥ずかしいわ」と、まるで羊のバタポン相手におしゃべりしているまりーちゃんの心境みたい。女って、いくつになっても恋がしたいかも(笑)。