人と同じことを言ってはダメ!

2011/10/15 

あるいは、「前の子と、同じ意見はダメよ」と、小学校の先生が子供たちに釘をさします。絵画の授業でも先生は、こういいます。「お友だちの真似をしては、いけません」と。小学生のころからフランスの子供たちは、だれかのコピーをしたら先生に叱られるだけでなく、仲間たちからはバカにされるのがわかっています。自分が先生に叱られるのは平気でも、まわりの仲間たちにバカにされるほど屈辱的なことはありません。勉強の成績がいいよりも彼らは子供心に、プライドを保つのが一番とわきまえます。幼少のころから、ああいえばこういう式がフランス人魂だと、社会から叩き込まれるわけです。もし彼らが「僕、または私も同じ」ということがあるとしたら、給食のときぐらいでしようか。たとえば、給食のおばさんに、「おかわりが欲しい人は?」と聞かれて、「僕も」というときですね。

それでは、子供たちがいる教室を教室に潜入してみましょう。なるべく低学年の、小学校に入学してすぐの生徒たちにしますか。ラ・フォンテーヌという、ルイ14世のころの、イソップ物語を集大成した国民的な詩人のテキストを、暗唱している子供たちの声が聞こえます。内容は日本人の私たちも知っている、コウモリ君のお話です。鳥たちにつかまってしまったコウモリ君は、翼をぱたつかせてこう命乞い。「僕にも羽がありますから、僕もあなたたちのように鳥の仲間です」と。別のとき、ネズミたちにつかまってしまったコウモリ君は、「僕にも爪と歯があるので、僕もあなたたちのように動物の仲間です」といって命乞いをしました。これからが肝心なところで、私たちはコウモリ君は卑怯者だと教わりました。鳥と動物の両方から制裁をうけて締め出され、昼と夜の間の夕方の束の間にしか飛べなくなってしまったのですと。ところがなんと偉大なるラ・フォンテーヌ先生の解釈は真逆で、「でかしたぞ、コウモリ君。命あってのものだねさ」とコウモリ君にエールを送ります。二股も、必要とあれば三股もありです。それにしても正直な日本人が、なぜ? 彼らにくらべたら私たち日本人って、素直ですよね。