変わったけれども変わらないパリ 2010/10/01 

観光色がさらに濃くなって、私たちもそうですが、どこにいっても外国人ツーリストばかりでした。10数年前からふえてましたが、東欧からの団体さんが目立ち、そこかしこに大型バスが止まっているではありませんか。もうまったく、アポリネールの詩どころではありません。と、そう思ったのは到着したばかりのころだけ。またしてもパリに魅せられ、日を追うごとに過ぎし日の思い出がよみがえりました。よくいう、あばたもえくぼというやつです。女の子たちがモン・サンミッシェルのバスツアーに参加し、深夜にムーラン・ルージュを予約して私がひとりになった一日、かつて慣れ親しんだ左岸はデ・プレの路地を歩き回りました。

デジカメを構えた私の耳にGSでよくかけているCDにある、ジャック・ブレルの歌が聴こえてきたときの感動は、まさに異国の祖国。シャンソンの出所は数メートル先の、古びたカフェでした。吸い込まれるように扉を押し、奥の席に座りサンドイッチと薄めのコーヒーを注文。そのころになるともう、パリが外国人ツーリストに占拠されていようがいまいが、そんなことはどうでもよく、肝心なのはパリと私の関係でした。といってもデジカメを覗く私の視点は、すでに生活者としてのものではありません。たとえば、このHPに載せることを意識して被写体を探すようにね。

それにしても今回の私たちのパリ旅行の成功は、ひとえにお借りしたアパルトマンがよかったからにほかなりません。マレ地区の真ん中で、部屋の窓から眼下に広がるパリの屋根に感激。エレベーター無しも、まったく苦になりませんでした。JADISという日本人スタッフが仕切る会社の、短期貸しの物件でした。安くて、キレイで便利で、至れり尽くせりのサービスはひと昔前のパリでは考えられません。これが当たり前だと思ってはダメよとは申しませんが、ついついオバサン的発想がよぎりました。それでは、またね。ア・ビアント!