北大路魯山人 2010/04/15 

昨日、親友がくれた魯山人を読んで、つくづく感心。目次の<料理芝居>につられて読んだ、目ウロコの一部を抜粋してみました。

“良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。全くその通りであって、その通りその通りと、なんべんでも声を大にしたい。料理人の料理や、書家の書や、画家の絵というものに、大したもののないことは、我々の日ごろ切実に感じているところである。
 しからばこれは何がためであろうか。
 良寛の言うには、料理人の料理とか書家の書というようなものが、いずれもヨソユキの虚飾そのものであって、真実がないからいかんと言っているに違いない。つまり、作りものはいけないというのだ”

ここまでは良寛さんのご意見を魯山人が解説しています。目ウロコだったのは次で、こんな調子に続きます。

“だが、私の思うには、家庭料理をそのまま料理屋の料理にすることができるか、と言えば、それはできない、客は来ないからだ。明らかに家庭料理と料理屋の料理とには何とも仕方のない区別がある。
 その区別は何か。家庭料理は、いわば本当の料理の真心であって、料理屋の料理はこれを美化し、形式化したもので虚飾で騙しているからだ。例えていうならば、家庭料理は料理というものにおける真実の人生であり、料理屋の料理は見掛けだけの芝居だということである”
さすが魯山人とうなりながら、お母さんが真心こめてご飯のしたくをしてくれていた時代の家族風景が、リアルに浮かびます。ただし、これが書かれたのは昭和10年でした。