「激しく家庭的」について 2007/12/01 

とかく個人主義とか、わがままといった形容詞が冠せられることが多いフランス人ですが、実はとても家庭的な人たちなのです。かといってお料理を作るのが上手だとか、家事が好きといったレベルのお話しではありませんし、既婚、独身にも無関係。ましてや小中学校の教科にある、家庭科を連想なさらないでください。そもそもフランスには、家庭科の授業自体が存在しないのですから。

家庭的なのは女性だけでなく、男性もそうです。甲斐甲斐しく子供たちの面倒をみるパリジャンを眺めながら、子供を連れて歩く姿は女性より男性にお似合いだと、妙に感心したものです。ところで私たち日本人こそ、家庭的というボキャブラリーを使わなくなったのではないでしようか。

以前、家庭的といえば、独身の娘さんの最大の誉め言葉でした。正式でも略式でもお見合いの席で、仲人役の女性は満面に笑みを浮かべて娘さんを、相手の男性にそういって紹介したものです。ところが、今はどうでしょう。「お宅のお嬢さん、家庭的ね」といわれるより、世の母親たちからしてこういわれるほうが喜ぶのではないでしょうか、「お宅のお嬢さん、優秀ね」とか、「お宅のお嬢さん、いい会社にお勤めね」と。

フランスでは男女を問わず、ホモ・セクシュアルの人たちまでが、心の底から家庭的でありたいと望んでいます。そのことを、自らが農業国であることになぞらえる人もいるほどです。太古から農業は保守、つまりコンサヴァティブでなくてはやっていけない点が家庭的だと、彼らは主張。コンサヴァ(保守的)ですらある家庭的という言葉が、愛を軸にした生活のすべてを物語ると、フランス人のだれもが思っているからなのです。

愛する人でもモノでも感情でも、私たちが全身全霊で守ろうとする気持ちが、家庭的なのです。だれかを激しく愛し、その人との幸せな生活を守りたい。ですから、「私たちももっと家庭的になって、恋人や夫を、そして家族を愛しましょうよ」と、拙著でいいたい。ここまで書きながら、エッセイストというのはお節介焼きかしらと、またしても自嘲気味な私がおります。みなさんも、家庭的という言葉をもう一度お考えください。